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すっかり秋らしくなってきました


気が付けば9月も後半にさしかかり、カイセリもすっかり秋らしくなってきました。
と言ってもまだ日中は半袖で過ごせる暖かさなので、今年最後のスイカやマクワウリが値下げされて売られていたり、夏の名残もまだあります。

日本も今ではハウス栽培などで年中食べられる野菜が多くなりましたが、トルコはまだまだ季節のものが多くて、市場やスーパーで見かける食材で季節の訪れを感じたりします。

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トマトなしでトルコの食は語れない。。。


夏の終わりに出回るのがこの細長い真っ赤なトマト!
よく輸入物のトマトの缶詰なんかに描かれているのを目にしますが、日本やタイではあまり見かけない品種ですね。

じつはトマト大国でもあるトルコでは、スーパーでも常に3~4種類のトマトが売られています。
私は違いがよくわからないので適当にかうのですが、丸いトマト、枝付きトマト、ぼこぼこした変な形のトマト、黒っぽいのや緑っぽいの。。。。等々。

そんな中でも、この長細くて真っ赤なトマトは一年で一回、夏の終わりのほんの一ヶ月にも満たない期間しか出回りません。
そしてこのトマトは、もちろん普通のお料理に使ったり切って食卓に出されたりもするんですが(甘くておいしいです!)
一般的にはトルコ人にとってこのトマトは「サルチャ用トマト」と言われています。

サルチャというのは、トマトペーストのこと。
これは日本人にとってのお醤油やお味噌みたいなもので、トルコの台所では絶対に切らしてはいけない食材です。
これが無くてはトルコ料理は作れないと言っても過言ではありません!
とにかく何にでもいれます。

日本にはサルチャ、無いの?なんて聞かれたこともあるくらいですよ。
サルチャが無いと、日本人はどうやってお料理するの?って義母なんかは不思議に思うくらいです!笑


実際、サルチャを入れるとどんな料理も美味しくなるような気がします。
ほんとにお醤油やお味噌の感覚で使っています。


スーパーで瓶詰や缶詰になって年中売られていますが、昔は毎年手作りされていました。
このトマトの季節になると、大量のトマトを買ってきて、丸一日かけて作るんだそうです。

去年は義母と親戚のおばさんと、何人かで集まってみんなでわいわい作ったそうで、トラック一台分のトマトを田舎から運んでもらったとか!
そんなたくさんのトマトを使っても、2リットルの容器5~6個分になってしまうそうですが。

家庭で手作りしたサルチャは保存用に塩をけっこういれてありますので、市販のものとは味が異なります。
市販の無塩サルチャは、開封したあとは冷蔵庫にいれていてもカビが生えやすかったりしますが、手作りの塩入サルチャはかなり日持ちがします。
封をあけずにおいておくと1年以上持ちます。まさに手作りお味噌みたいな感じですね。

涼しくなってきた秋晴れの日に、庭に敷物を広げて、みんなでわいわいサルチャ作りをするのがこの季節の風物詩でもあるようですが、それも最近減ってきているのが現実です。


先日のクルバンバイラムの時も、数日前から夫が、前日に食料の買い出しに行ったほうが良いかもね。バイラム中はどこもお休みだから。と言っていたのですが、結局行けずじまいで(でも毎日よそにお邪魔してごちそうになってばかりだったので必要なかったのですが。。。)
すると、バイラムの初日でも空いているお店がちらほら。。。
大型店になると2日目からは通常営業のところがほとんどでした。
そういうのを見て、「時代は変わったなー。僕が子供のころはバイラム中はどこも閉まっていて、その前にたくさん買い込んでおいたものだけどねー」と夫は言っていました。
日本でも同じだよ。。。と私も日本のお正月について少し言いました。

私が子供のころ、たぶん小学校くらいまでは、お正月の3ヶ日はどこも閉まっていましたし、大晦日に買い物を済ませて、お正月のあいだは母の作ったおせち料理とお雑煮を毎日食べたものです。


クルバンバイラムは日本のお正月やタイのソンクランと同じようなもので、一年で一番大事な祝日なので、毎日ごちそうを食べるし、正月太りならぬバイラム太りをしてしまいます。
特に普段はあまり食べない甘いものも、この時期になるとよく出されるのでついつい。。。

今年は義妹の婚約者のお母が手作りのシヴァス名物のお菓子を持ってきてくれたのですが、これがナッツ入りのショートブレッドのようなサクサクのクッキーを、やはりシロップにつけたものでw
これが食べてみると予想以上においしい!
主人の勤め先からもらったロクム(小さくて四角いモチモチしたお菓子。これも大変甘い。。。)もお茶と一緒に食べると美味しいし、毎日食べてしまいます。

トルコでもやっぱり、秋は食欲の秋ですね。。。(*´ω`)




私はもともと甘いものをそんなに食べなかったはずなんですが、トルコに来てから前より甘いもの好きになった気がします。
それからお酒はけっこう好きでよく飲んでいたんですが、最近はめっきり飲まなくなりました。
まぁ、イスラム教だから隠れて飲まないといけないんですが、それでも飲みたいともあまり思わなくなりました。


住む土地に合わせて味覚も変わるものなんでしょうか。。。?
そういえば、タイに住む前は料理に甘い味付けをされているのがあまり好きじゃなかったんですが、今ではすっかり好きになりました。
たまに日本に帰ってお店なんかで食事すると、ちょっとお砂糖いれたいなー?と思うくらいです!
辛い物ももともと好きでしたがタイに住んでさらに好きになりましたし!


海外生活が長いと、日本食が食べたくても食べられない時もありますので、だんだんその土地に味覚を合わせていくというのもあると思います。
最近ではトルコのお米でおかゆを作って梅干し代わりにオリーヴで食べたり平気でしている自分がいますw


そのうち白ご飯にサルチャをかけて食べるようになったりして。。。( *´艸`)


# by araty2013 | 2016-09-23 00:24 | トルコ生活

犠牲祭で肉食について考える

月曜日からはじまった今年の犠牲祭(クルバン・バイラム)も無事終わり、今日から普通の一日に戻りました。


今年のバイラムは、義妹の結婚やらおばあちゃんのお葬式やら、いろいろなイベントがあって親戚とも一通り顔を合わせているし、またいろいろと物入りで。。。 そんな理由からなのかどうかはわかりませんが、去年に比べるとわりとあっさりと終わりました。


去年のクルバン・バイラム↓良かったらぜひ読んでみてくださいね!

今年はクルバンパザール(動物市場)に羊や牛を選びに行ったりもせず、お義父さんが近所のレストランにお肉を卸している牧場に頼んでおいて、当日家の近くまで運んでもらい、そのまま牧場主の人が切って適当なサイズに解体するところまで手伝ってくれました。
うちは去年と相変わらずで、夫の実家のほうに一緒に参加させてもらうかたちで、羊の脚一本をわけて頂いて帰りました。

そのあと去年はシヴァスに親戚周りにいきましたが、今年は来月の義妹の結婚式でシヴァスに行くし、バイラムはカイセリで過ごそうということで、カイセリの親戚を訪ねたり、親戚が訪ねてくる実家に入り浸ってばかりの休日でした。


はじめ、義父は今年のバイラムは友達と一緒に牛一頭を買って切ってわけようと計画していたのですが、それを夫が反対したので、結局今年も羊になりました。

羊の場合は一世帯1頭ですが、牛の場合はサイズによって5世帯~8世帯くらいでわけることが多いです。

この、分けるというところに夫は引っかかるそうで、どの部位をだれが貰うかで揉めるようなことがあったら、せっかくの生贄として捧げた動物がただのお肉として扱われてしまうので儀式の意味がなくなってしまう、ということらしいです。

でも実際、羊のお肉は食べ慣れていない私、料理の仕方もイマイチわからないんだよな~。。。

「わたしは尻尾だけでもいいのよ、舌と尻尾とすね肉でも私はかまわない!!」とアピールしておいたんですがね。。。
しっぽならテールスープ、すね肉も煮込んでシチューにすると美味しいというし、牛タンは大好物だし!

しかし大人になった長男の意見は通りやすく、義父もあっさりと牛を断って羊を選んできました。




今年はそんなわけであっさりと終了したというのもあってか、お肉を食べるのも切り分けるのも特に抵抗を感じませんでした。
でも、慣れが大きかったと思います。
正直、去年はかなり衝撃でした。


去年はじめて体験したクルバンバイラム、屠殺、そして家畜と共に生きる村の暮らしの話などを聞いて、それまでなんとなく食べていたお肉について、いろいろ考えるようになりました。


子供のころ、素朴な疑問として、「動物を殺さずに、自然に死んでしまった動物のお肉を食べるのじゃ、だめなの?」と親に聞いてみたことがあります。
その時初めて、死んだ動物のお肉は食べてはいけないものだと知りました。
どうして殺して食べるのはいいのに、死んだのを食べるのはダメなんだろう。。。?と子供心には不思議でしたが、たしかに魚に例えると、取れたての新鮮な魚を食べたいけど、金魚の水槽で死んでぷかーっと浮いてるのを思い出すと。。。((+_+))


死んだ動物のお肉がダメだと学習してからも、実際お肉については知らないことだらけでした。


家畜というものを知れば知るほど、牛・羊・鶏などの動物がなぜこんなにも人間のニーズにぴったり合っているのか、これは神様の贈り物なのか、はたまた人間も動物の生態に合わせて変化していったのか、とにかく感心することばかりです。

例えば牛は、草しか食べないのに、あんなに大きく成長してお肉をたっぷりとつけるし、さらに一度子供が生まれると、あとはミルクがどんどん出てくる。
鶏はなぜか飛べないから逃げる心配もないし、毎日毎日たまごを産んでくれるし。
そして羊も毎日草しか食べないのにお肉も脂もたっぷりだし、栄養のある乳も出るし、それにもこもこの毛がどんどん生えてくるので、それで毛糸を紡いだり布団の綿にしたり、そして性格はおとなしくて群れで行動するから育てやすいし。。。


ジャレド・ダイアモンドの著作、「銃・病原菌・鉄」でも詳しく書いてあるのを少し読んだことがありますが、草食動物の中でも気性の荒いのはたくさんいて、柵の中に入れようとすると暴れて体をそこら中にぶつけて、力尽きて死ぬまで逃げようとしたりするのもいるそうです。シマウマなんかもとても気性が荒いんだそうです。

羊なんて、犬や猫よりも体が大きいのに、草だけを食べて1年もたてばけっこうな大きさに成長して子供も産めるようになります。
でも羊ってすごく食いしん坊で、ずっと食べてばかりいるんだそうです。
だからそんなに成長が早いのかもしれませんね。

クルバンパザールという、犠牲祭用の動物を売る市場にいる羊たちは全部雌の羊です。
雄はわりと気性も荒く、大きな角があるし、扱いにくくなってくるのか、子羊の肉として1年未満で食べられることが多いそうです。
雄の中で質の良い数頭だけが残されて、種付け用にされます。
魅力のある男だけが生き残ってハーレムに行ける、厳しい世界ですね。

雌は一度出産を経験したほうが肉質がよくなるのだそうです。
でも2年以内に売ってしまうのがベストらしいです。

2年以内に売れなかった場合でも5才くらいになると、もう限度なので切って食べられたりします。
5年以上たつと肉質がかなり落ちるし、肉が固くなると火が通りにくくて食べるほうもお腹を壊しやすいんだそうです。
牛も同じく4,5年が限度だそうです。
そういう話を聞いて、あー、そうか、この子たちはペットじゃないんだ。。。
お肉として売るために手をかけて育てているわけだから、育てる側もいつまでものんびりしてはいられない。
可愛いからって理由で死ぬまでうちに居てね♡ってわけじゃないんだ。。。と改めて気づきました。


今回、義妹の婚約相手の家族がカイセリまで挨拶に来てくれていたのですが、お父さんは友達と一緒に牛を切りましたが、おばあちゃんの一家は羊を一頭切りました。
ですが、その羊が病気だったのだそうです。
病気の場合、肋骨のあたりのお肉が黄色っぽかったり緑がかっていたりするそうです。
そうなるともう食べれないそうで、泣く泣く捨てるしかないのだそうです。

義父が言うには、変色が骨まで到達していない場合は脚のほうなど変色のない部分を食べることもできるが、一部でも骨に変色が見られるともうアウトだそうです。

この話もとても興味深いなと思いました。

お肉なんて、スーパーのパックに詰められたのしか買ったことなかった身としては、買った羊を切ってみたら病気だったから食べられなかったなんて、初めて聞く話だし、そういうことがあるのを想像もしたことありませんでした。
栗の殻を割ってみたら身が黒くて食べられなかった、ならありますが、スケールが違いますからね。。。


そんないろいろな経験をするたびに、この人たちは肉食の民族なんだなーとつくづく思います。
トルコに限らずですが、フランスに住んでいた時もそうでした。

ある友人宅に呼ばれてステーキをごちそうになったのですが、牛のハラミにあたるような部位だったとおもいますが、それをミディアムくらいに焼いたもので、とっても美味しかったんです。
でも、やっぱりさいごお皿に少し赤い血の色をした肉汁が残ります。
わたしもステーキの焼き加減はレアなくらいが好きなのですが、この血の色が付け合わせのマッシュポテトにしみこんだりすると、やっぱりそこは避けてしまいます。
でもフランス人の友人たちはみんなその血の色の肉汁をパンにしみこませて美味しそうに食べていました。
これが美味しんだよ!と言われても。。。。(;^_^A


日本では年と共にだんだんお肉もたくさん食べられなくなってきたりしますが、トルコではおじいさんでもおばあさんでも歯さえ丈夫ならいくつになってもお肉をもりもり食べるそうです。
あと、トルコの肉食の特徴としては、かなりよく焼いて火をしっかり通して食べます。
ちょっと焦げてるくらいが美味しいという感じですね。
細切れにしてよーーく炒めたり煮込んだりするのも多いですし、半生くらいで食べるのはちょっと。。。だそうです。
ケバブのお肉なんかもそうですよね。


そんな肉食文化のある国でも、最近はもちろん狭いところに入れられて、毎日決まった飼料を与えられて、ろくに運動もしないままぶくぶく太って、そのまま屠殺所へ運ばれてお肉になる、というのも多いのが現実ですが、バイラムの時期になるとちゃんとした牧場からこの日のために育てられたとびきりの家畜を1頭買いします。
義父は家畜に関してはかなり見る目があるので、毎年良いものを選んでくれます。


そして今年は、私たち夫婦に親戚からのおすそ分けで牛肉もたくさん頂きました。
田舎の広い草原で放牧して自然の中で育てられた牛のお肉です。

昨日さっそく料理してみたのですが、さすがしっかり運動しているお肉、肉質がとても引き締まっていて硬かったです。
でも味が濃くて、ほんとうに噛めば噛むほど、という感じのお肉でした。
日本では食べる機会がなさそうなほど硬いお肉でしたが、とても美味しかったです。
トルコではこういうふうに繊維質がしっかりして弾力のあり、味の濃いお肉というのが値打ちがあるそうです。
脂身もほとんどありませんでした。
ほんと、ところ変われば、ですね。



こうしてイスラム圏では毎年この犠牲祭を通して肉食文化が受け継がれていますが、それ以外の国ではどんどん肉食に対する嫌悪感も広がってきているように思います。
実際にベジタリアンに転向する人や、ヴィーガン、マクロビなども実践する人がどんどん増えてきています。
とは言ってもまだまだ少数派ではありますが。

ただ、この先、私の勝手な未来予想になっていまいますが、
お肉に変わるような食材を、動物を殺さずに作ることができる技術が発達してくるのではないでしょうか。
そして、お肉を食べたい欲求を我慢することなく、動物も殺すこともない、食生活が実現するなら。。。
今現在、ベジタリアンなんてばかばかしい!と思っている人でも、本物のお肉より美味しいベジタリアンミートができたならどうでしょうか。。。

今普通にお肉を食べている人の中で、たとえば無人島に放り出されたとして、自分で動物を捕まえて殺して食べなければいけない状況になったらどうするでしょうか。
諦めて木の実と魚だけで我慢しよう。。。と思う人がけっこう多いのではないかと思うのです。
(私もそうなっちゃうような気がします。。。)


昔は繊維を紡いで糸をつくり、機織り機で布を織り、服を作っていたのが、工場で作った化学繊維で大量生産された服を着るのが主流になるのに100年もかかっていないのですから、そう考えると肉食文化もこれから廃れていく運命なのではないか。。。
2世代も先になると、「昔の人間は動物を殺して食べていたそうだ」なんて言われる時代になるかも、という妄想を勝手に膨らましています(^^;)


ひょっとしたら近い未来に失われるかもしれない肉食文化、せいぜい楽しんでおきたいと思います!(^^)!

# by araty2013 | 2016-09-16 21:13 | トルコ生活

カンガル犬を知っていますか?

前回のブログで書いたシヴァスの村ですが、いつもみんなKoy〈キョイ、トルコ語で村という意味)とだけ呼んでいるので私も同じように村と呼んでいますが、ちゃんと名前があります。
シヴァス県、カンガル群にあるアジュユルト村という小さな村です。

カンガル群は本当に過疎化の進んだ田舎なのですが、この「カンガル」という名前はトルコ人なら誰でも知っています。
と言いますのも、この地方原産のその名も「カンガル」という犬がいるんです。


トルコ以外ではあまり知られていない犬ですが、じつはとても優秀で飼い主に忠実な犬なのです。
そしてそれだけではなく、その強さはピットブルやロットワイラーと戦わせても負けないと言われているほどです。

それがどうして世界的にあまり知られていないかと言うと、体格が大きいので運動量も食欲もかなりあるためペット用として飼う人はトルコ国内では少なく、あくまでも畜護犬や軍用犬などの職業犬として育てられているだけなので、ペットショップなどには出回らないのです。


シヴァスの村にはもちろんカンガル犬がたくさんいます。
前回も途中までカンガル犬について書いていたのですが、書くことがたくさんありすぎてこれだけで一話いけてしまうなと思い、別で書くことにしました。

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夫の従妹のカンガル犬と鶏。


カンガル群にある村に限らず、シヴァスの村やそのほかの県でも家畜を飼っているところだとだいたいカンガル犬を飼っているところが多いはずです。
アジュユルト村には各世帯に数匹います。

夫は小さいころからこのカンガル犬に慣れ親しんでいるので、この犬が大好きで、私にもいつもカンガルがどんなに素晴らしい犬かを説明してきます。
今日はそんなカンガル犬のすごいところをご紹介して行きます!


まず、この犬は記憶力がかなり優れています。

アジュユルト村は今では小さい村ですが、昔はもっとたくさん人が住んでいました。
その頃からでも、各世帯で飼われているカンガル犬たちはみんな村人をきちんと覚えているんだそうです。
そして村の外から入って来る者には吠えたり攻撃したりします。
なので外からこの村に訪れる際には村人に近くまで迎えに来てもらって付き添ってもらいます。(村人が一緒にいると友達だと認識して危害を加えてこない)
もしくは犬たちが仕事(羊の護衛)に出掛けている時間を見計らって来るかのどちらかの手段を取ります。

ですが、これが子供であれば全然襲い掛かってこないそうです。
そしてこれは子供を襲うなという躾の結果ではなく、もともとこの犬に備わった性質によるものなんです。
生まれつき強いけれど子供など弱い者には優しいんですね。


カンガル犬は日中は日陰で過ごし、日が暮れて羊の放牧の時間になると羊の群れに一緒に付いていきます。
でも厳密に言うと牧羊犬ではなく護畜犬といい、群からはぐれた羊を追い立てて群れに戻したりする牧羊犬の役割よりも、羊を狙いに来るオオカミと戦うというのがカンガルの主な役割なのです。

オオカミだけでなく野生の豚も突然羊に突進して襲い掛かる場合があるそうで、そういった野生の動物たちから羊たちを守ります。

そんなカンガル犬の首には、鉄のとげとげのついた首輪がはめられています。
これは、オオカミと対決するときにまず最初にオオカミは喉元を狙って食いついてくるので、それを防ぐためなのだそうです。

群の規模にもよりますが、ひとつの羊の群れに通常数匹のカンガル犬が護衛しますが、一番勇敢で強い犬にこの首輪がつけられるそうです。鉄の首輪がついている犬がいわゆるアタッカーで、最初にオオカミと対決します。
喉元を食いちぎられるのを防ぐことさえできればカンガル犬はオオカミと互角に戦えるそうです。
体格が大きくて強いだけでなく、敏捷で勇敢な性質を持っているのです。


こうして畜護犬として重宝されているカンガル犬は村の人の生活にはなくてはならない存在です。
今では栄養バランスを考えられたドッグフードも売られているでしょうが、ペットショップなどない村では昔からカンガル専用に作られた食事(全粒小麦を水で溶いたものがベースだそうです)があって、今でもカンガルにはそれを与えるのだそうです。
そして、躾の範囲だとは思いますが、シヴァスにいるカンガル犬は人間が与えない限り肉は食べません。
つまり、そのへんの小動物を自分で捕まえて食べるようなこともありません。
村ではほとんどの家庭で鶏や七面鳥も飼育されていますので、そういった動物は自由に歩き回ることができます。

そして夏は暑く乾燥して、冬は雪深い極寒というシヴァスの土地でずっと生き抜いてきたこの犬は、少しくらい水や食料が無くても我慢して任務を遂行することができる我慢強さがあり、飼い主にもとても忠実だそうです。


ブログを書くにあたって、カンガル犬についてネット上で書かれていることを調べてみると、トルコ国内では長い間価値が見いだされずにいたものを、ヨーロッパやアメリカで人気が出たのでトルコでも最近注目されているというような記述もみかけましたが、おそらくそれはペットとしての犬の話をしているのだと思います。
当然、ずっと昔から遊牧生活を送る民族であったトルコでは、犬と人間は一緒に生きてきました。
もちろんカンガル犬は昔から重宝されて大事にされてきた犬です。
でも、それはペットとしての犬ではないので、毛艶の良さだとか体格だとかの美観的な要素ではなく、畜護犬としての才能に重点がおかれてきました。
優秀なカンガル犬を子供のうちに見つけて上手に育て上げることが牧場主にはとても大切になってきます。
そして羊を大切に育てる牧場主は、カンガル犬も大切に育てることで、犬が羊をきちんと守ってくれるのです。


例えば、夫の叔父さんは、もし羊の放牧の途中にカンガルがオオカミを仕留めた場合、すぐにその場で羊一頭をしめます。
なぜかというと、オオカミと戦ったカンガルはオオカミの毛を大量に飲み込んでしまい、それが肝臓(と言ってましたが肺の間違いかもしれません。。。)に入り込んでしまうと命にかかわるからです。
そこで、オオカミの毛を体外に排出させるために、羊のお尻のところの脂肪の塊を犬に与えるのです。
けっきょく羊を殺すのだったら、そもそもオオカミを撃退した意味が。。。?と思われるかもしれませんが、オオカミに襲われた羊はいたずらに殺されただけで終わりますが、正しい方法でしめられた羊は、ちゃんと家に持ち帰って家族でお肉として食されます。


ある時は、叔父さんのカンガル犬がオオカミを仕留めたあとにそのように羊の脂身をすぐに与え、家に帰ってからはすぐに家畜小屋の中に入れられて数日体を休めるためにドアにカギをかけられ、次の日も叔父さんは他の犬を連れて羊の群れと一緒に出発しました。

その時夫は10歳くらいで、田舎に遊びに行っていて、叔父さんが羊を連れて出ていくのを見送ったのですが、それからしばらくすると、小屋の中にいたカンガル犬が起きて、自分はもう十分回復したから僕も連れて行ってくれ!と言う感じで、簡単に窓を蹴破って急いで群れを追いかけて行ったそうです。
働き者なのか、パワーが有り余っているのか。。。
叔父さんは優秀なカンガル犬を育てるのがとても上手かったそうです。


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レックス。イラク国境近くの町で出会ったカンガル犬。


さて、もうひとつ、村で育てられるカンガル犬がペット用としての犬とかけ離れている理由は、この耳です。
本来は鼻と同じく黒く垂れた耳をしていて可愛らしいのですが、この耳は護畜犬のあかしです。
まだ小さいうちに、寒い冬の時期に切り落としてしまうのです。

というと残酷な感じがしますが、こうしておかないとオオカミと対決する際に、喉元を首輪で守られている場合はオオカミは耳を狙ってきます。
オオカミもとても賢い動物なのです。
そうやって、耳を食いちぎる目的ではありません。
オオカミに耳を狙われた犬は、下手をすると顔の皮を剥がれてしまうのです。

それを防ぐために、必ず冬の炎症を起こしにくい時期に鋭利な刃物でサッと切り落とします。


カンガル犬は護畜犬以外に軍用犬としても任務に就くことがよくあります。

そして上の写真の犬、レックスは夫が軍隊時代にイラク国境近くの駐屯地で出会った犬です。
通常軍用犬として育てられる場合は護畜犬と違って耳を切り落とすことはありません。
駐屯地にはほかの軍用犬たちもいたのですが、もちろんカンガル以外の犬種もおり、軍用犬はちゃんとお給料(といっても訓練して育てたトレーナーに支払われ、犬には餌として還元されるんですが)も支払われますし、もし任務中に不発弾や地雷を見つけることができた犬は名誉職(?)が与えられ、軍隊から解放されて一生お給料をもらいながら生活できるようになるそうです。

でもレックスは軍用犬ではありませんでした。
軍の駐屯地に住み着いた放浪カンガルだったんです。

子供のころからカンガル犬に親しんできた夫は、この耳と、昼間はずっと日陰で待機している姿を見てすぐに、もともと護畜犬だったことがわかりました。

なぜ護畜犬がこんなところにいるのかというと、犬が牧場から脱走する理由はただ一つ。
オス犬に限ってたまに起こることですが、よそから来た好みの雌犬に出会ってしまった場合、追いかけて行ってしまうそうです。。。012.gif
そして盛りの時期を二匹で草原を駆け回り仲睦まじく過ごした後は。。。
サヨウナラなのだそうです(._.)

でも、メスと楽しく過ごし、子孫を残すことに成功したオス犬は、そのまま牧場に戻ることなく新しい生活を始めるそうです。


そしてレックスが辿り着いたのが、この軍隊駐屯地でした。
ほかの軍用犬に交じっておこぼれの餌をもらい、昼間は日陰でじっとしている生活でした。

夫は一応カンガル犬には詳しかったので、この犬がひょっとすると優秀な相棒になるのではと思い、日が暮れて犬が動き出す時間に呼んでみました。
するとすぐに近くに来て、2日も一緒に過ごせばすぐに懐いて言うことをきくようになりました。
普通は犬を任務に連れていくと、もしも途中で吠えたりしたら敵に居場所がバレる危険性があるので好まれないのですが、犬の賢さを説明し、どうしてもと上司にお願いして、任務に一緒に連れていきました。
最初は上司も渋々でしたが、そのうちレックスは、危ない場所まで来ると先に行って見回りをするなど活躍するようになり、すっかり隊の一員として頼りにされるまでになりました。
もともと注意深く洞察力のあるカンガル犬の特性がここで発揮されたんですね。


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若かりし日の(?)夫とレックス


写真では、雪こそ降っていませんが、ここはかなり空気の乾燥した極寒の地域。
任務は時には厳しく、何もない山道を敵の襲来におびえながら数日間歩いて移動しなければいけない時もありました。
睡眠も、岩陰の地面に毛布にくるまって眠るだけ。
敵の急襲に備えて固まらずにみんな分かれて一人で眠らないといけないのですが、レックスは片時も夫のそばを離れなかったそうです。
ご飯も二人で分け、一枚の毛布に一緒にくるまり、軍隊時代の一番の親友といってもいいほどいつも一緒にいたのがレックスでした。


こうしてこの地域での任務は半年ほど続きました。
そして、別の駐屯地へと移る指令が来ました。
もちろんレックスも一緒に、と一緒に車に乗せて連れて行ったのですが、中継地点の大きな基地までは連れていけたのですが、その先は犬は連れていけないと言われ、そこでお別れとなりました。



それからしばらくして、夫は軍隊をやめてイスタンブールで働き始めました。
その後も軍に残った友人にレックスの消息をきくと、ずっと夫と最後に分かれた基地に住み着いていたそうです。
最後はどうなったのか、その基地で亡くなったという噂もききました。


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眠いのかな?遠くを見つめるレックス。


牧場で生れて護畜犬として育ち、雌犬とかけおちし、軍隊で第二の人生を歩んだレックス。。。
犬は人間の友達になれるって本当ですね。
猫だとこうはいかないだろうなぁ~。。。(;^_^A


でも、私は猫さんのそういうあっさりした性格も好きですけど!

# by araty2013 | 2016-09-08 01:36 | トルコ生活

トルコの村の生活

これまでも何度かブログに登場したシヴァスと言うのは、カイセリと隣接した県で、面積はカイセリより広いのですが人口は少ない、いわゆる田舎です。
昔気質の人が多く、宗教心も厚く、数年前にはシヴァスを舞台にした映画が大ヒットして一躍有名になりました。
セルジューク朝時代にはけっこう栄えていたようで、今でも装飾の美しい古いモスクなどがたくさん遺っています。


夫の両親はこのシヴァスの、田舎のほうにある村の出身ですし、今回の義妹の婚約者もシヴァスの人なので結婚後はあちらに移住しますし、義両親も老後はシヴァスで暮らすことになるのか。。。(義母はカイセリから離れたくない!と意見が分かれていますが)
そんなわけで夫の家族とはとても結びつきの強い土地なのです。


夫もシヴァスの村で生まれて2歳まで育ちました。
村にはもちろん産院もないので産婆さんに取り上げてもらいました。
なので今時めずらしい出べそです(内緒w)


結婚する前からよく、「シヴァスの村では。。。」という話を夫から聞いていました。

子供のころに夏休みになると親戚のおじさんを訪ねて村に遊びに行って、おじさんが牛の群れを連れて山から下りてくるのを待っていた話や、馬にのせてもらった話や、すごくかわいいロバを飼っていた話、叔母さんが乳しぼりをしてバターやチーズを作っていた話などを聞いて、ずっと村に行ってみたいと思っていました。

が、去年になって、村は過疎化が進み、親戚もほとんどみんなシヴァスの町のほうへ引っ越してしまい、ついにはずっと村に住んでいた叔父さんまでもが家畜を手放して都会に引っ越してしまったので、もう訪ねていく人がいないから村には行けない。。。
そう聞いて ガーーーンッ (←古い!)とショックを受けていたのです。


それが、急きょ村に行けることになりました。

でも、素直に喜べない事情で。。。


というのが、ちょうど義妹の婚約が済んで、その次の週末に、おばあちゃんが病院に運ばれたんです。
もう90歳を超えた高齢のおばあちゃんだったので、いつお迎えが来てもおかしくないとは思っていたのですが、孫の婚約を見届けた翌週に入院、そして2日後にそのまま返らぬ人となりました。


というわけで急きょお葬式。
おばあちゃんは生前から死んだらおじいちゃんの隣に埋めてほしいと言っていたので、おじいちゃんのお墓のある村へとみんなで向かいました。


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村は寒いから上着を持って行けと言われていましたが、よく晴れて暑かった。


前回書いた婚約の儀式の時には、おめでたい席なので涙を見せる人がいませんでしたが、やっぱり感情的なトルコ人、お葬式となるともう、大丈夫かしら??と心配になるくらい大号泣している人がいっぱいいました。

もちろん悲しいんですが、でも90歳を超えてほとんど老衰のようなかたちで苦しまずに亡くなったおばあちゃんですから、ごく身近な人たちはシクシク。。。くらいかと思っていたのですが、声に出して うわーーーーーーん と大泣きする人から、座り込んで泣きじゃくって立てなくなる人。。。 とにかく初めて体験したトルコのお葬式は悲しみの渦の中に放り込まれたような状態でした。


ご存知の方も多いと思いますが、イスラム教では土葬なので亡骸は焼かずに埋めます。

イスラムの終末論では、世界の終わりが来ると2回ラッパが鳴ります。

一度目のラッパで世界の終わりを告げ、二度目のラッパで死者が皆墓場から蘇り、そして最後の審判が始まると言われています。
なので、墓場から蘇るためには焼かれて灰になってしまってはいけないという考えがあるようです。


お葬式と言っても、みんなで集まって棺桶を囲むような場面は一度もありませんでした。
なぜか男女はほとんど分けられています。
一部の女性は外でお手伝いをしていましたが、私は手伝うこともないので屋内で待機。
次々と参列者が来ますが、屋内に入っても良いのは女性だけで、男性はみんな外で待たされています。

何を待っているかと言うと、死者の体を洗って清め、棺桶に収めるまでを待っています。

その間、女性は次々と集まってはみな顔を見合わせては泣き、また別の人が来ては泣き、久しぶりの再会がお葬式であることを悲しみ、思い出話をしては泣き。。。。


男の人達は外で何をしていたんでしょうか。私は見ていないのでよくわかりませんが、私はひとりぽつんと座って、あまりにもみんな感情的に泣くので、たまにもらい泣きしそうになりながらじっとしていました。


そして準備が整ったと呼びに来られたので女性もみんな外に出ます。


そして棺桶を担いで墓場に行くのですが、この担ぐ役目は男性のみです。

コーランの一文が書かれた緑の布をかけられた棺桶は、おみこしのように持ち手がついていて、数人で担ぐようになっています。
そして担ぎ出す前に聖職者の人がコーランの一説を声にだして唱えます。
そして、並んで見守っている女性たちに、この亡くなった人は良いイスラム教徒であったかどうかをききます。
女性はみんな、はい、良いイスラム教徒でした。と答えます。

そして男の人達だけで棺桶は墓場まで運ばれて行き、女性はそのまま屋内に戻ってみんなでお祈りをします。
誰か一人がコーランを唱え、みんな座って一緒に聞きながら時々 アーミン と唱えます。


男性陣が墓地から帰ってくると、みんなで軽い食事をして、それで一連の葬儀の流れは終了です。


最後に亡くなった人の顔を拝むこともなく、お花を手向けることもなく、半日ほどで終わったので、仏教のお葬式とはずいぶん違うなーと思いました。



お葬式が済むと、亡くなったおばあちゃんの孫のひとりが今でも村の男性と結婚して村で生活しているということで、その人の家に集まりチャイをいただきました。

トルコの村の生活_a0327879_20205499.jpg
なんだこのカワイイ猫は!と驚くほどの美猫ちゃんがいました。


私が前から、村に行ってみたい!!と言うといつもお義母さんからも夫からも、「何にもないところだよ」と言われていました。
村の人の生活は牧畜、酪農業がほとんどで、お店などもありません。
水道はありますが供給時間は24時間ではありません。

トルコの村の生活_a0327879_20175222.jpg
確かに何もないところではありました。。。(写真は石造りの鶏小屋)




今でもそうなのかはわかりませんが、夫が子供のころに叔父さんにお使いを頼まれて近所の人の家に卵を持って行ってリンゴを貰ってきたことがあると言っていました。
そのような物々交換が村の主な経済だったそうです。
たしかにお店がまわりにないと、紙のお金はあまり意味がないですよね。

主な財産は家畜ということになります。
いざという時は家畜を売ってお金に換えて、町に行って物を買うという感じですね。

冬はかなり雪深い土地なので農耕には向いていないようで、食生活は肉と乳製品が中心になります。

トルコの村の生活_a0327879_20283364.jpg
マドゥマックと呼ばれるシヴァスで食されている野菜


チャイを頂いた後に家の前に座って外を眺めていると、庭に座って何か探していた親戚のおばさんがやってきて、マドゥマックという野菜を貰いました。
これはトルコの中でもおそらくシヴァスだけで食されている野菜だと思うのですが、去年のバイラムの時にお邪魔したお宅ではじめてマドゥマックのスープを頂いて、その時はほうれん草のようなものを想像していたのですが、実際はこのような雑草みたいなものでした。


こうして掌に乗せられて、ほら、そこに生えてたんだよ。食べてごらんと言われたので ええぇ!!と思いながらもそのままむしゃむしゃ食べてみると、癖が無くてわりと食べやすい味でした。
なるほど、シヴァスの土地柄では貴重な野菜なのかもしれませんね。

ひと段落してから、女性もみんなでおばあちゃんのお墓に行こうということになり、歩いていきました。


トルコの村の生活_a0327879_20304510.jpg
本当に何もない一本道をずっと行くと、柵で囲われた墓地があります。


墓地は本当にシンプルな感じで、おばあちゃんのお墓はおじいちゃんのお墓の隣に土がこんもりとしてあるのでわかりやすく、
今はまだ木の札に生まれた日と亡くなった日、名前が書かれてあるだけでした。


墓地からの帰り道、そろそろ日が暮れてくる時間帯で、牛の群れがぼちぼち帰ってきました。
トルコの村の生活_a0327879_20333936.jpg

牛は日暮れごろになると帰ってきて、すると今度は羊が出かける番だそうです。

知らなかったのですが、羊は夜の間に放牧するそうです。(少なくともトルコ、シヴァスではそうです)
日が暮れてから出発し、朝になると帰ってくるそうです。
そして日中はみんな身を寄せ合ってお互いの体の下に顔を隠して顔に陽が当たらないようにして寝ているそうです。

夜眠れないときは羊を数えますが、当の羊は夜行性なんですね。。。


トルコの村の生活_a0327879_20355856.jpg
牛はIQが低いと言われていますが、村まで辿り着いたあとは一応自分の家まで帰れるそうです。


トルコの村の生活_a0327879_20385000.jpg
家畜を連れているおじさんのスタイルは今も昔も変わらず?
口ひげにハンチング帽と奥さんの手編みの毛糸のチョッキ。


この村も、今では暮らしている世帯がかなり減っています。
主な理由は子供に教育を受けさせたいから、ということです。


私は村の素朴な生活も悪くないんじゃないの?と思っていましたが、今回実際に行ってみてひとつわかったことがあります。


村の暮らし、女性にとってはマイナスの面が大きいような気がしました。
男性は主に放牧だったり畑仕事だったり家の修理だったり、力仕事ですね。

それ以外の細々した仕事は全部女性がやるわけです。
お邪魔した家のお母さんはずっと休みなく動き回っていました。

そして何よりも、村の女性がスカーフをかぶっているのは、都会の女性がスカーフをかぶっているのとはちょっと事情が違うのです。
それは、宗教的な理由というよりは、とにかく男性の目につかないようにしているという感じです。
わたしも普段は普通の服装で全くお咎めなしなんですが、村についてしばらくすると異様な空気に気が付きました。
Tシャツとジーンズで髪の毛を隠していない女性はじろじろ見られる対象になるようです。

チャイを頂きにお邪魔したお家には15歳くらいの娘さんがいましたが、はっとするほどきれいな顔をしていたのですが、ものすごく田舎風の地味な服装をして頭にはスカーフをほっかむりのようにしていました。

わー、もしきれいな服装をして髪を整えたらものすごい美人だろうなーと思ってみていたのですが、思春期の娘のお洒落なんて、田舎の村ではまったく不要というか、むしろ美人であるのがバレないように気を付けないといけないという感じがしました。

それは決して村の男性が野蛮だという意味ではありません。

ただ、これと言った娯楽もない村で、年頃の娘さんが肌や髪を晒していると、若い男性をむやみに刺激してしまうことになりかねませんので、男性側としても隠しておいてほしいと。さもなければ見ちゃうよ、という感じでしょうか。笑



実際に生活するのは厳しいかと思いますが、昔のままの営みを今も続ける村の生活からはいろいろと学ぶことも多いように思いました。
また別の機会にぜひ遊びに行きたいと思いました。







# by araty2013 | 2016-09-02 23:19 | トルコ生活

O君の物語

昨日(月曜日)は突然の臨時休業とさせていただき、大変ご迷惑をおかけいたしました。
本日30日(火)からは通常通り営業いたしますのでよろしくお願い致します。

また、トルコ雑貨も新しく入荷しましたので本日より店頭に並びます。

O君の物語_a0327879_15595628.jpg

人気のオリーブ石鹸(今回はオリジナルとティーツリーとどちらも入荷しています)や、手編みのオヤで縁取りをしたガーゼ素材のスカーフも入荷しました。
そのほか、トルコらしい絵付けの小皿や、ネックレス、ピアスなどのアクセサリーもあります♪
みなさまのご来店をお待ちしております^^



さて、前回のブログでは、義妹の婚約式の翌日が私たち夫婦が結婚式を挙げてからちょうど一年だったと書きました。


今日はそんな結婚記念日つながりから、夫の幼馴染のO君のお話をしたいと思います。



O君は中学生くらいの頃からすでに、「あー、早く大人になって結婚してぇ!」と言い始めたらしく、かなり結婚願望が強かったようです。
そんなO君、高校を卒業すると同時に猛烈なひとり婚活をはじめました。

主な出会いはインターネット。
出会い系サイトなのかどうなのか、その辺の詳しいことはわからないのですが、女の子とネットで知り合ってはビデオチャットで仲を深めたり直接デートにこぎつけたりしていたそうです。

ある時はアンタルヤに住む女の子とネットで知り合い、ビデオチャットをするうちに彼女に夢中になってしまい、なんと、バス会社に就職までして、ついに添乗員としてアンタルヤ行きの夜行バスに乗り込んだのでした。。。

そうやって彼女の家を訪ねたO君。

アンタルヤは地中海リゾートとして有名で、海外旅行客も多いですし、年中温暖な気候のビーチリゾートだということもあってトルコ女性もわりと開放的な人が多いのです。
イスタンブールはいろいろな人が住む都会ですが、アンタルヤなどの地中海沿岸地域はいわゆる’’発展家’’のお嬢さんが多いそうで。。。

そして、その女の子もカイセリでは出会うことのなさそうな「進んでる女子」だったようで、「○日は家族がみんな出かけてる日だから、うちにいらっしゃいよ」と誘ってきたとか。(すべて夫から又聞きした話ですが。。。(;^_^A)
喜び勇んだO君は彼女の家に忍び込み、部屋で二人っきりで居たところ。。。
運悪く彼女のお母さんが予定より早く家に帰ってきてしまいました。
こっそり逃げようとしたのが間に合わず、娘が男と二人きりで部屋にいるのを見つけた母親はびっくりしてお父さんにすぐに報告の電話をいれ。。。

O君はその後、話を聞いて急いで帰ってきたお父さんとお兄さんに袋叩きにされたそうです。。。


それでも懲りなかったO君、その彼女に駆け落ちしようと提案し、また日を改め今度は彼女をさらいにアンタルヤまで行きました。
が、その駆け落ちも途中で追っ手が付き、バス停で見つかってしまい、やっぱりお父さんとお兄さんにタコ殴りにされw
二人の仲は引き裂かれてしまったということでした。
悲恋の話のようですが、なぜか笑い話として語り継がれていますw

というのも、そのあともめげずにひとり婚活を再開したO君は、同じようにネットで誰かと知り合っては、
「明日女の子とビデオチャットするんだ~ ニヤニヤ」 
と言ってきたかと思うとその数週間後には、
「このあいだネットで知り合った女の子と、結婚前提に付き合いたいと思ってるんだ。 キリッ」 
と言い出し、
またその数週間後には別の女の子と出会っている、というようなことを繰り返していたのだそうです。


そんなO君は、大学卒業資格を取るための講座に通い始めるのですが、そこでついに運命の出会いがありました。


相手は3歳年上で、5歳の女の子の母親で、半年ほど前に離婚したばかりの女性でした。

でも二人はすぐに意気投合し、あっという間に恋の炎は燃え上がり、
程なくしてO君は念願の結婚と同時に5歳の女の子のお父さんになったのでした。


私がO君に初めて会ったのは、まだ私たちは結婚する前で、O君夫妻は結婚して2年目の頃でした。
ふたりの新居にお邪魔し、結婚式のアルバムを見せてもらい、そのあと結婚式のビデオの上映会がはじまり。。。
そのあとは新婚旅行のアルバムも見せてもらい(ちなみに場所はアンタルヤでしたw)

まぁ、新婚の夫婦なんだからそんなの普通かな?と思っていたのですが、じつは夫はそれが初めてではなかったらしく、曰く、O君の家の敷居をまたぐ者は必ず毎回あのアルバムとビデオを観させられる。。。と言っていました。


そして、夫妻は毎年結婚記念日になると、なぜか仲の良い友達を家に招待してパーティーを開くのだそうです。
そのパーティーでは、「結婚○周年の記念日」というO君自作の書類が読み上げられ、参加者は「二人が結婚○年目も仲睦まじくいることの証人」として、サインを一筆書くという謎の儀式があるそうですw

そしてそのあとはお決まりの、結婚式のビデオを観させられるというww


夫はその式に3回参加しているので、「いや、もういいよ、そのビデオはもう何度も見てるから!!」と止めようとするのですが、
「いやいや、まだ見たことないやつもいるから。な?お前まだ観たことないよな??」と、初参加者への配慮として必ず上映されるのだそうです。。。



そもそも結婚記念日って二人っきりで祝うものでは。。。?
まぁ、そんな仲睦まじいO君夫妻ですが、結婚5年目を迎えてついに待望の赤ちゃんが誕生しました!

これまでは奥さんの連れ子の女の子と3人家族で仲良くやってきていましたが、あたらしく男の子の赤ちゃんが家族に加わり4カ月が経ちました。
遅ればせながら私たちもお祝いを兼ねて赤ちゃんを見せてもらいに、おとといお邪魔してきました。


O君宅に向かう途中、「今日もまた結婚式のビデオみせられたりして。。。」と夫が言うので、
まぁ、それはそれでウケるけど、今は赤ちゃん中心の生活だろうからねー、ひょっとしてお産のビデオだったりしてw
なんて冗談を言いながら到着してみると、とってもかわいい赤ちゃんに癒され、幸せそうな家族とひと時を過ごしたのですが、
後半はやっぱり「ねぇ、ちょっとこれを久しぶりに観ようよ!」とO君。
ま、まさか。。。?


でもそれは、結婚式のビデオではなく、去年の6月の結婚4周年パーティーのビデオでしたw

私はひとりでバンコクに帰っていたので夫が一人で参加。
この日のために天井には小さなミラーボールが設置されたO君宅のリビングで、友達数人と兄弟たちを前に
「毎年僕たちのためにお集まりいただき、ありがとうございます。。。」というスピーチからはじまりました。

周りは付き合わされている感がありましたがw
夫もちゃんと映っていて、ちゃんと証人のサインもしていました。


他にもとにかく夫婦でビデオ撮影をするのが趣味なようで、O君が歌い奥さんが踊るビデオなど、いろいろ見せてくれました。
赤ちゃんが生れてすぐの時に家族4人で一緒に歌いながら撮った記念のビデオなどなど。。。


そんなわけで楽しい時間を過ごさせてもらったのですが、ひとつ印象に残っているのが、
途中奥さんと娘さんが席をはずして台所に行っている間に、O君が私にお願いがあると。
娘さんが戻ってきたら、赤ちゃんは少しお姉ちゃん似だね?と言ってあげてくれないか、と言うのです。

今までも娘さんのことを本当の我が子のように溺愛していたO君ですが、やっぱり弟が生れたことでお姉ちゃんが寂しい思いをするのでは、と心配していたのですね。


夫とその友達の間ではいつも笑いのネタにされているエキセントリックなO君なんですが、昨日の帰り道、
「でもO君って実際、すごく良い旦那さんですごく良いお父さんじゃない?」と言うと夫も
「確かにそうだね。。。」と言って笑っていました。

O君の物語_a0327879_04450149.jpg
起きている間はその可愛さに釘付けで写真を撮るのを忘れていたので寝てしまってからパチリ


皆からお父さん似だね、と言われるそうですが、でもお姉ちゃんにも似ていると言ったのは嘘じゃありませんよ!
本当にすこし似ていました。

賑やかな家族に囲まれて、どんな男の子に育つのかな~?012.gif





# by araty2013 | 2016-08-30 05:01 | トルコ生活


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