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7月15日

2年前から、7月15日はトルコの歴史に残るメモリアルデーになり、新しい国民の祝日となりました。
(今年は日曜日にあたるから関係ないですが。。。)
たまたま私たちがバンコクに来ていたあいだに起こったクーデターにより、革命記念日となったのです。


でも私にとってはそんなことよりワールドカップ決勝戦101.png
もしもクーデター特番で決勝戦がテレビで流れないなんてことになったら、それこそテレビ局に爆弾投げ込みにいったろか!
って感じです108.png

ところでワールドカップといえば、日本・韓国で行われた大会の時に3位に輝いたトルコのチームを覚えている人はけっこういるのではないでしょうか。
イルハン・マンスズがイケメンというのも話題になり、日本でもけっこう人気が出ましたよね!

わたしはあの時のイメージが強かったのでてっきりトルコはワールドカップ常連国なんだと思っていたら、じつはあの大会を含めてワールドカップ出場回数はたったの2回。。。!
もうすでに、日本のほうが出場回数を上回っているんです。

でもトルコって、すごいサッカー大国で、人気の3チーム(ガラタサライ、フェネルバフチェ、ベシクタシュ)の試合がある時なんかは、勝ったほうのチームのサポーターたちがクラクションを鳴らしながら町中を走り回って夜中まで大騒ぎします。

日本の長友選手がガラタサライに現在所属していますが、長友選手のツイッターからもガラタサライのサポーターの熱さがすさまじいことがひしひしと伝わってきます。

そんなにサッカーを愛する国なのに、どうしてワールドカップに出ないのかと言うと、トルコはヨーロッパリーグの中に入っているので予選を突破するのが難しいんですね。。。

EUには加盟できないのに、なぜサッカーはヨーロッパリーグなんだろ。

そして今夜の決勝を戦うクロアチアの選手の中でも今大会でけっこう活躍しているヴィダはベシクタシュ所属なので、トルコからもクロアチアを応援する人が多いみたいです。
しかしこのワールドカップですっかり有名になったので、たぶんすぐにヨーロッパの強豪チームからオファーが来て、トルコを去るんだろうなー。。。。

またトルコがワールドカップに出る機会に恵まれて、その時日本も出場して、もし日本とトルコの試合があったら。。。
どちらを応援しようかなー。。。 
夫はもちろんトルコを応援するだろうし、娘はどちらかな??

ふだんはほとんどサッカーを見ないし全然くわしくないけれど、ワールドカップだけは毎回楽しみです。
今夜の決勝で終わってしまうけど、また4年後が楽しみですね!


あ。。。
7月15日についてかくはずが、すっかりサッカーの話にそれてしまいました105.png105.png


えーと、まず、7月15日のクーデターとはいったい何だったのか。
そしてあれ以降すっかり勢いをつけたエルドアン政権。
先月の選挙でもまたエルドアンが再選しましたし、大統領に権限を集中させるような法律をあらたに取り入れたりしていますので
海外からは独裁者との批判をうけたりもしています。

じつは、エルドアン大統領に関してある筋からおもしろい噂を聞いたので、それについてもブログに書きたいとずっと思っていたのですが、今日はサッカーの話など寄り道して長くなってしまったので、それはまた次回にして、今日は、そのエルドアンの噂にも関係のある7月15日のクーデターの概要について簡単に書きたいと思います。


まず、クーデターが起きたのは一晩で、その日のうちに収束してしまったのですが、クーデターの種はもう何年も前から蒔かれていました。

これには確たる証拠はないですが、現在アメリカに亡命してかくまわれている、フェトフラー・グレンという男がこのクーデターを計画したと言われています。

グレン氏はもともと聖職者で、表向きは穏やかな人物で恵まれない人を助け、いろんな場所にモスクや学校、銀行などを建てていきました。
それは外国にまでおよんで、すべては恵まれない人たちのため、こどもたちのため、という名目でした。

政治への関心はまったく見せず、あくまでも聖職者という立場ながら、力のある企業や組織を少しずつ味方につけて多額の寄付金を受け取っていたのも事実でした。


夫も高校生の頃に、突然友達に、「夏休みの間に無料で勉強を教えてくれる教室があるから行かないか」と誘われて友達数人で行ったそうです。
というのも、そこに行くと無料で泊まり込み、毎日ごちそうやお菓子をたくさん貰えて快適な場所で勉強を教えてもらえて至れり尽くせりなんだ、という話だったからです。

でも、一度そこへ行くと一定の期間が終わるまで家には帰してくれないと言うルールがあったり、勉強以外によくわからないビデオの映像を毎日見させられたと言っていました。
洗脳ビデオ、みたいなもんでしょうか。。。
何かがおかしいなと思った夫と友達は、施設で勉強などを教えてくれる講師に、

「どうしてお金も払ってないのにこんなに毎日ごちそうをもらえたり、勉強を教えてもらえたりするんですか?月謝もとらずに、この施設はどうやって運営されてるの?」

などと質問すると、お前たちはそんなことは知らなくていい。
と言って何も教えてくれなかったそうです。
そしてあまりにもしつこく聞いたり、ルールをやぶって夜中に抜け出して家に帰ったりしたため、けっきょく追放されてしまっておわったらしいのですが、今思えばそれがグレン氏の教団の施設だったそうです。
なんだか、最近死刑が執行された日本の宗教団体を彷彿とさせますね。。。

そこでうまく洗脳され教育された人はのちに、エリートになり、政治家になったり弁護士になったり、学費をすべて出してもらって出世コースを歩んだりしたそうで、そうやってグレン派のエリート集団がじわじわとトルコの社会に浸透して行ったそうです。


そうやって、資金も人脈も整ってきたので満を持しての国家転覆を狙ったクーデターだったと言われています。


クーデターについては、エルドアンの自作自演ではないかという意見も多数あって、それも可能性としてあり得る感じもしますが、フェトフラー・グレンとその組織が存在するのは紛れもない事実で、このクーデター以降はフェト派と呼ばれる公務員や教師たちはみなことごとく職を失ったり資格はく奪、ひどければ投獄されたりと、厳しい制裁をうけました。


制裁は今も続いているようで、これに関してはエルドアンを恨んでいる人たちも多数いるようで、先月の大統領選も圧勝というわけにはいかなかったようでした。


ではまた次回、エルドアン大統領の噂について書いていきます。
今夜はそろそろこのへんで終わって、ワールドカップの決勝観ます。
クロアチア、優勝しますように♪




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# by araty2013 | 2018-07-15 23:41 | トルコの事件

久しぶりに、ケーキのお話。

久しぶりに、妹の更新です102.png

19,20日の2日間で開催された【フランスと世界の雑貨 Darun】さんのイベント、たくさんのお客様にお越しいただき、ありがとうございました*^^*
今回も可愛いものたくさんでしたね♡
私も、花瓶とお皿、購入してしまいました111.png

お店のほうも、バタバタしてかなりお待たせしてしまい、申し訳ございませんでした。

今月はイベントが2回あったのでにぎやかな日が続きましたが、今後しばらくは、のんびりとした店内になるかなーっと思います。
ゆっくりお話したり、読書などしながらお茶を楽しんでいただけるかと思いますので、ぜひくつろぎに来てくださいねー101.png


ところで、ブログでもお知らせしましたが、4月26日に、姉が無事、かわいいかわいい女の子を出産しました❤︎
「おめでとうございます」と直接言ってくださるお客様も多く、とてもうれしかったです♪
私は毎日写真を送ってもらいながら、「かわいいかわいいい」っていうだけですが出産秘話は、なかなか怖かったです105.png
出産ってほんとに大変なんだなぁと改めて思いました。
でも、それ以上にかわいいそうで、お姉ちゃんも義兄も、毎日デレデレしているそうです。笑
私も早く姪っ子に会いたいですが、なかなかトルコは遠いですね。。


さて、今日は先週からこっそり販売しているケーキ、ブラックフォレストのお話です。

久しぶりに、ケーキのお話。_a0327879_14370162.jpg

このケーキ、実はSerendib tearoomがオープンしてすぐのころに結構作ってました。
ドイツ語で、「シュバルツベルダーキルシュトルテ」というこのケーキは、私が個人的に大好きなケーキなんです。(名前もかっこよくて好きなんです)

私は昔、製菓の専門学校に通っていたのですが、実習の前に先生がケーキを作りながら工程とレシピの説明をして、そのあと先生が作ったケーキをみんなで食べます。
その時に初めてこのケーキを食べて、とても美味しくて感動しました。
これはサクランボのリキュールを贅沢に使用したケーキで、お酒が弱い人が食べるとちょっと酔っぱらうんじゃないかと思うくらいなのですが、甘酸っぱいサワーチェリーとチョコレートのスポンジと生クリーム、そしてリキュールの組み合わせが当時の私にはとても新鮮でした。

その時の思い出があるからか、いつまでたってもこのケーキは私の中で特別なケーキです。
でも、しばらく作っていなかったんですが、先日サワーチェリーの冷凍が売っているのを見かけて、どうしても作りたくなりました。
また、オープン当初のセレンディブによく来てくれていた方が以前、「私、実はあのブラックフォレストが一番好きなケーキでした」と言ってくださったので、その方はもうバンコクにはいらっしゃらないのですがいつかまた作ろうと思っていたんです。

学校で食べたケーキの味はもう今は忘れてしまったし、材料も手に入らないものがあったりで同じような味にはなっていないと思うのですが、お酒の入ったケーキが好きな方には、ぜひ食べてみてほしいなと思います☆



HUG&SMILEさんから、新しい商品が届きました!
天然石で作った猫ちゃんの置物です。
久しぶりに、ケーキのお話。_a0327879_14412942.jpg
好きな色で選ぶのもよいし、それぞれの石の持つ意味で選ぶのもおすすめです♪
ひとつひとつ、表情が違ったりするのでぜひお気に入りの子を見つけてくださいね*^^*

※HUG&SMILEさんの商品の売り上げはすべて寄付させていただいております。


以上、久しぶりのブログ更新でした!













# by araty2013 | 2018-06-21 15:34 | お菓子のおはなし

トルコで帝王切開③

今年の断食月があけて、娘にとってはじめてのシェケルバイラム(断食後の祝日)も今日が最終日です。

トルコで帝王切開③_a0327879_04344441.jpg
バイラム初日はおじいちゃんおばあちゃんのお家へ挨拶に。
ずっと大人しくいい子にしていました。

3日目の今日はシヴァスから義妹が帰ってきており、うちより半年前に産まれた甥っ子ちゃんは生後6か月と言うと誰もがびっくりするほどのビッグベイビーに成長しています。

トルコで帝王切開③_a0327879_04332950.jpg
お。。。重い。。。
こんなに重たいのにまだハイハイもできないなんて、毎日抱っこしてあやしている義妹は偉い!
10キロもあるそうです!!

トルコで帝王切開③_a0327879_04333758.jpg
うちの子も大きくなったとはいえまだまだ小さいですね。。。


トルコで帝王切開③_a0327879_04331601.jpg
新生児が笑うのは楽しくて笑っているのではないとか言いますが、人が来て話かけたり歌を歌ってあげたりすると笑います。
ほんとうに人の言葉がわかってるんじゃないかと言う気さえしてきます。。。
たまに ひーひっひっ と声を出して笑う時もあって、こちらもつられて笑ってしまいます106.png



さて、それでは出産体験のつづきです↓




■異例の立会出産

じつはトルコでは立会出産お断りの病院が多いらしく、私が出産した病院もそういうことになっていましたが、私の場合は深夜だったし、外国人だから言葉も通じなくて不安だろうから旦那さん付き添いお願いしますってことになり、こちらから希望しなくても立会いになりました。

とは言え、全身麻酔の手術だから言葉が通じるも何も。。。 しかもオペするのは最初からずっとお世話になってきた先生で英語が話せるし、なぜ突然立会いOKになったのかよくわかりませんが、私の代わりに赤ちゃん誕生の瞬間を見届ける役目をしてもらえるし、麻酔が効くまでのあいだそばにいてもらえると心強いので、私としてはうれしかったです。

そして夫はと言うと。。。
「僕も手術室に入ってもいいんだって!」と、うれしそうでした。

ドクターが到着して、「旦那さん、手術とか見るの平気ですか?気分が悪くなるかもしれませんが、大丈夫ですか」
と聞かれて、「大丈夫です!」と即答したらしいです。
普通、半身麻酔の手術の場合なら切っているところは見えないようにしてくれるはずですし、普通分娩の場合でも立会人は妊婦の頭側に立って赤ちゃんが出てくるところは見れないようになるはずです。

が、夫はまるで研修医が見学するのと同じように先生の隣に立たされて最初からずっと手術の様子を見れたそうです。
もう、立会出産というよりは手術見学ですね105.png


わたしの記憶では、手術室に入ってからは緑の布の仕切りみたいなので自分の体は見えなくなり、でも全裸にされたな。。。というのはわかりました。
それから緑の服を着てマスクをした男性が近づいてきて、最初わかりませんでしたが夫でした146.png
「今からお腹に色を着けるそうだよ」と説明されて、
「え?色??どういうこと?何の色??」


どうやら、消毒液をかけることを色を着けるというお医者さん同士のあいだの言い方なんだと思いますが、夫もよくわからないのでそのまま直訳してそうなったんですが、そしたら冷たい液体をお腹にばしゃばしゃかけられて、怖いのと寒いのとで体がガクガクブルブルしてきました。
そんな私を見て心配しているのではないか。。。と夫を見ましたが、全然そんな様子はなく、手術を見るのも怖気づいた様子もなく、どちらかというとワクワクしているような?
私はテレビのドキュメンタリー映像なんかでたまに手術の様子とか映ると怖くて見れないタイプなんですが、夫はけっこうそういうの興味津々で見るタイプなので、本当のオペシーンが観れる!と、内心よろこんでいたのかもですね。


実際にオペがはじまると、最初にお腹を切るのを見た時だけ、「あー、これって、僕の妻の体が切られているんだよなぁ。。。なんて物を見てるんだ!」と、一瞬後悔したそうですが、一瞬だけだったそうです105.png
あとで手術の一部始終を説明してくれました。

赤ちゃんはお腹から出てきた時、かなり青黒い色になっていて、最初は少し体を動かしたものの産声をあげなかったそうです。
すぐに別室へつれていかれて色々な応急処置を施されたそうですが、元気になって病室に来れるまで3時間かかりました。

赤ちゃんが別室に連れて行かれたあとに夫はまた先生に呼び戻され、私の産後の処置をしているところへ近づいてくると、先生はお腹の開いたところから臓器をひっぱりだして、
「これが例の子宮筋腫ですよ。いくつかありますが、全部は無理です。一番大きいのだけ切除しますか?」
と聞かれて、ではお願いします、と言うやりとりがあったそうです。

もしかして、その確認のために立会いに呼ばれた??



■一番怖かったこと


長くなってしまいましたが、今回で完結したいので全部書き切りたいと思います!


いろいろと辛かったことなど書いてきましたが、一番苦しかったことをまだ書いていません。


まずひとつは、咳です。

前回書いたように、術後は痛くてまったく体が動かせなかったんですが、なんと、こともあろうにそんな状況で、
喉がむずむずと。。。149.png 
しゃべるのさえ腹筋を使わないようにしゃべるから途切れ途切れに小声でしか話せないのに、咳なんかしたら。。。
いそいで水を飲んで喉を潤わさないと!と思ったのですが、しばらく飲食を禁じられています。
夫に必死で懇願してティッシュに水をふくませて喉に数滴垂らしてもらうというのを、咳が出そうになるたびにしてもらってなんとかしのぎましたが、うっかりすると咳が出そうになるのでめちゃくちゃ怖かったです。

この咳は退院後も続いたので、けっきょく退院してからもウトウトすると咳が襲ってくるので怖くて眠れず、産後5日くらいまでは座ったまま寝落ちしては咳が出て痛くて悶絶して起きる、という程度の睡眠しかとれませんでした。
最初は三時間おきの授乳が大変だと聞いていましたが、それどころではない状況だったので逆にそのあと3時間でも寝れるようになったので楽に感じました。


そしてもう一つは病院で味わった恐怖。。。
看護婦さんが来て、悪露がちゃんと出ているかチェックしに来るんですが、出やすいようにお腹の上に重りの砂袋のようなものを置かれていて、それを取るだけでも痛いし、また戻すのも痛いのでかなりゆっくりやってくれるようにお願いしていました。
それなのに、そのチェックが入る時、お臍のあたりを看護婦さんが ぎゅーーーーっ と押すんです。
叫びたいですけど声を出すと余計に腹筋に負担がかかって痛いので、夫のほうを見て目だけで ぎゃーーーーっと訴えかけていました。

そのチェックが退院までに3回あったので、1回目は知らずにされて痛かったですが、2回目、3回目は何をされるかわかっているので、看護婦さんが部屋に入ってくると怖くてたまりませんでした。


もう一度出産のチャンスがあるかどうかわかりませんが、今回のことでわかったのは、帝王切開は痛み止めが効くかどうかにかかっているな。。。。と思いました。
もしもう一度チャンスがあればその時は、手術後にどういう痛みどめをしてくれるのかなど、ちゃんと事前にチェックしておきたいと思いました。


痛かったことや怖かったことを色々書きましたが、出産はどんな方法でも何かしら痛みはともないますし、誰でも怖いもんだと思います。
でも、今となっては何がどんなふうに痛かったのかよく思い出せません。

それよりも、赤ちゃんを最初に部屋に連れてきますと言われたときに拒否してしまったことや、最初に抱っこしたときや初めての授乳も、とても気分が悪い中で意識朦朧としながらやったので、あんまり覚えていないことなど、そしてだんだん意識がはっきりしてきてからも同じ部屋の中にいながら抱っこしてあげることもできない情けない気持ちなど、色々とメンタル面のダメージが大きかったのが全くの計算外でした。

しつこいようですが、もう一度チャンスがあれば今度こそ。。。と思ってしまいますね。


出だしはつまづいてしまった感がありますが、これから挽回できるようにたっぷり愛情をかけて育てていきたいと思います110.png







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# by araty2013 | 2018-06-18 05:33 | 出産

トルコで帝王切開②

前回、トルコで帝王切開①では、手術が終わって麻酔からさめて来たあたり、そしてまさかの育児放棄?!疑惑などについて書きました。

今回はそれより少し遡ったところからはじまります。。。


■出産準備

結果的には出産当日となった4月26日の午前、病院で最後の検診をして、先生から「今夜10時に来てください。それから陣痛促進剤を投与して出産に挑みましょう。どんなに長引いても十数時間だと思いますから、明日がお子さんの誕生日になりますよ」と、宣告されたのでした。

家に帰って入院セットを詰めたカバンの準備や、赤ちゃんを迎え入れるためのベビーベッドの用意や部屋の掃除などなど。。。

日本の病院だと色々と病院側が準備してくれるそうですが、トルコは基本全てこちらで準備が必要。
一応私立病院だったんですが、それでも、です。

陣痛に効くと書かれていたテニスボールや、リラックス効果のあるアロマが良いと言うので、友達の北海道土産にもらったラベンダーソープ、それから寝たまま水分補給しやすい吸い口のペットボトル、リフレッシュ用のミントタブレット等々。。。
ちょっとした合宿気分です。
あの準備の時は緊張しながらもあんなにワクワクしてたのになぁ。。。

それから夫が部屋の掃除やらベッドの準備やらしてくれているあいだに私は家族や友達にラインで連絡。
いろんな人から応援のメッセージをもらって、うん、頑張るぞ!という気持ちになっていましたし、今から思えば出産直後よりも、出産直前のほうが感激やらワクワクで胸がいっぱいでした。


そして夫が、今夜から入院ということで、今から家族に知らせるから、病室には僕と母が泊まり込むことになるよ、と。


おい、待て待て105.png
陣痛で悶え苦しんでいる時に、言葉も通じない義母にずっと同じ部屋の中にいられたら。。。無理でしょ。

それだけは絶対にやめてほしいと頼んで、結果、せめて翌朝に電話するということで話は決まり、そのままふたりで病院に向かいました。

それからの展開はこれまで書いた通りの、ついてすぐにやっぱり手術で!と言われ、あれよあれよと言う間に手術の準備がすすめられていきました。
そうやって私が手術着に着替えさせられて、点滴の針を腕につけられたり尿管を通されたりしているあいだに、夫は家族に電話し、
「今から手術することになった。1~2時間以内には産まれるから、すぐに準備して来て。」


え。。。 それって、どうなるの。。。?
しかし、赤ちゃんが産まれるんだから連絡するのは当たり前か。。。
というわけで、①で書いたように、麻酔が切れた時には家族や親せきがぐるりとベッドを囲んでいたというわけでした。

でも、その時まだ赤ちゃんは色々な処置を施されていたので、病室には呻き苦しむ私がいるだけなので、とりあえずおめでとうってことで親戚たちは帰っていきました。。。が。。。
義母だけは残ってそのまま泊まり込むことに。
けっきょく、陣痛室に泊まり込まれるのと、たいして変わりない結果となったのでした。。。



■トルコの病院


手術をすると決まってからは、あっという間に準備が進められていったわけですが、言葉が通じないのでよくわからないままに色々進んでいくのが怖かったです。

手術着に着替えるので脱いでくださいと言われて、それから腕に針を刺されて点滴を差し込むところを作って、今度は下半身のほうに何か処置されそうになっていたので、あぁ、これはもしかして噂の導尿カテーテル?手術体験ブログではこれを差し込むときが痛いとか、刺した後もずっと不快だとか書いてたよな。。。 麻酔をしてからやってもらったから楽だったって書いてた人もいたよな。。。
今やるの?麻酔してからじゃだめなの?? どきどき。。。 
と思っていたら、どうやら終わったらしく、ちょっと違和感はあったものの痛みは無くてほっとしました。


思えば、私はそういうことが多かったんです。
破傷風の注射もそうだし、親知らずの抜歯だとか、わりと色んな人から「すごく痛いよ!」と聞かされていたことを実際にやってみると全然痛くなかったということが多くて、もしかしたら私って痛みに鈍感なのか?と思い始めて、だから出産もひょっとしたら、そこまで痛くなくすむかも?手術の後も、なーんだ、こんなもんか。で終わるくらいかも?という予感を持ちはじめていました。
その余裕があとから「こんなはずでは。。。」という気持ちを増大させたのかもしれません。


それまで横になっていた病室のベッドがそのまま動かせて、それで手術室まで移動することになり、ナースがベッドを押して運んでくれるんですが、これでもかってくらい壁とかにガンガンぶつかりまくりながら進んでました。笑
そしてエレベーターで地下3階の手術室へ。。。

深夜の病院なので、消灯後の薄暗い廊下をずっと進むと、赤いランプの灯った手術室が見えてきて、中に待機している若い男性医師らしき人物に、「イブラヒム先生の患者さん、手術入ります」みたいなことをナースが伝えて、手術室も準備態勢に入りました。

全体に薄暗く、これから待ち受けていることをあまり理解していなかったし、今思えばけっこう緊張していたように思います。
でもあの時はまだ、これが終われば赤ちゃんに会える!という気持ちのほうが強かったかも?


しかし、深夜とは言え私立病院なのに人手が少ないのかなー?と感じました。
ほとんどの処置をナースがひとりでするので、夫に手伝わせたりしていました。
私の記憶が戻ったころには持参したパジャマを着させられていたのですが、それを着た記憶がおぼろげにあって、あとから夫に訊いたところ、私は手術の時に下に敷いていた緑の布(手術で血まみれになった)に包まれて病室に運ばれ、病室についてからその布をとって丸肌にされ、ナースひとりと夫が手伝いながらパジャマを着させ、オムツを履かせ、などしたそうです。
しかも、しばらくトイレにいけないので便意を止める座薬も入れるので、それも夫が手伝いながらされたそうで、私は朦朧としていたので覚えていないけど、そういうのって夫に手伝わせるのかな、普通?とあとから思いました。

ちなみに私は、その座薬は痛み止めだったのかと思っていたけど違ったようだし、最初の二時間してくれていた点滴も痛み止めかと思っていたらそうではなかったらしく、実際の痛みどめは12時間に一本だけ筋肉注射を打ってくれるだけだったらしく、しかもぜんぜん効いてなくて、胸から下のあたりはブランケットをかけられていたのですが、その下が一体どうなってるのかよくわからないし、何がどうなってどこが痛いのか自分でもよくわからないような状態でした。

想像していたのは、切ったところが痛いんだろうなと思ってましたが、あとで見ると切ったのはかなり下のほうだったので、その傷自体はほとんど痛みませんでした。え?こんなところだったの?とあとで見てびっくりしたくらいです。

そんな状態だったけれど、術後3時間ほどで授乳指導があり(ほとんど覚えていない)、手術の翌日の午前中から歩行練習をするということでナースが来たんですが、痛すぎて無理です、せめて次の痛みどめの注射を打った後でお願いしますと必死で訴えたら、しょうがないわねと言う感じでナースはどこかに行ってしまいました。
わたしは割と我慢強い性格だし、あまり弱音は吐かないほうなんですが、この時ばかりは無理だと思いました。

が、しかし、1時間後くらいに別のナースが注射をしにきましたが、歩行練習担当のナースはそれ以降来ず、痛みどめは別に効いてる感じもなく、それでも歩行練習をする前に尿道カテーテルをはずされてしまったので、尿意があるのと、膀胱に尿がすこしたまるだけでも圧迫されてかなり痛みが増してきたので、これはなんとか歩いてトイレに行くしかない、トイレに行ければ少しは楽になるという一心で、夫に手伝ってもらいながらなんとか起き上がり、トイレまで連れて行ってもらいました。


歩くのはつらかったけれど、何もせずに寝ながら痛みをこらえるよりましな気がして、すり足でゆっくりと病室の中をぐるぐると歩き回ったり、椅子に座ったりしながら、けっきょく一睡もできないまま退院となりました。


後から痛みは後陣痛と言われるものだったのかなと思いますが、出産と同時に子宮筋腫の摘出手術も受けていたので、痛みがよけいにひどかったのかもしれません。もう、何がなんだかわからない感じでした。

さて次回は、異例の立会い出産ならぬ、手術見学??


次回へつづく☆

# by araty2013 | 2018-06-11 23:08 | 出産

トルコで帝王切開①

■はじめに

出産方法に関して、高齢だからという理由だけで帝王切開にされるのが不満だったのですが、それ以外にも色々と総合して自然分娩にしたいという思いがありました。

まずひとつは、自然分娩のほうが産後の回復が早いと言う事。
産むときはものすごく痛いだろうけど、年齢的にもこれが最初で最後の出産になるとしたら、一度くらい経験しておきたいという気持ちもありました。

帝王切開のここがいやだと思っていた点は、
まず、今まで大きな病気をしたことがなかったので、麻酔をすることや、体にメスを入れることがはじめてなので単純に怖かったこと。
それから、術後しばらく点滴など、体に管をいれたまま自由に動けない状態が長く続くのがいやだったこと。
そして、術後の回復が遅いこと、傷跡が残ること、などなどでした。

でも、自然分娩のつもりで入院したのに突然手術に切り替えられた時は、そうか、仕方がないな。。。という気持ちと同時に、やっぱり陣痛や分娩の痛さが怖い気持ちもあったので、内心ちょっとホッとしたのもありました。
あとはなるようになれ!というのと、あと数時間で赤ちゃんに会えるんだ!と思うとわくわくするような気持ちも少しありました。


それが、実際に手術が終わって麻酔から意識が戻った時には、「想像していたのと全然違う。。。まさかこんなことになるなんて。。。」
という思いしかなく、私の想像していた出産とは全く違っていました。


■こんなはずでは。。。


手術は全身麻酔で行われました。
麻酔について詳しい知識はなかったのですが、下半身だけの麻酔の場合、切られてる感触や赤ちゃんを引っ張り出す感覚がわかると聞いていましたので、それは怖すぎる。。。手術するなら全身麻酔がいいなーと思っていました。
実際にはこちらに選択権なしで全身麻酔でした。

私のイメージでは、麻酔から覚める→ あー、傷が痛むなぁ。。。 でも、赤ちゃんは?→ 無事に産まれて今別の部屋にいるけど、もうすぐ会えますよ→ 赤ちゃんが運ばれてくる、感動のご対面173.png

こんなイメージでした。


が、実際は。。。

手術は深夜23時ごろはじまり、日付が変わって0時30分ごろには私は病室に戻されていたらしいですが、戻ってすぐくらいから意識が戻り、しゃべりはじめていたらしいです。でも、そのあたりの記憶は全くありません。
とにかく 夫の名前を呼び、痛いよ~ 痛いよ~ と訴えていたらしく、そして2,3分おきに同じ質問ばかりしていたらしいです。

その質問というのが、私は何時ごろからこうしているのか、何時に手術が終わったのか、何時にこの部屋に戻されたのか、何時に目が覚めたのか。。。。こういった質問を何度も繰り返していたそうで、とにかく時間の感覚がなかったようです。
そしてけっきょく最後まで、「赤ちゃんはどこ?いつ会えるの?」という質問は出ませんでした。。。
その時の自分の気持ちはよく思い出せませんが、無事に産まれただろうということはなぜか確信がありました。

私の口から赤ちゃんについて何も言ってこないので、夫から「無事に産まれたよ、君に似ているよ」などと教えてくれました。

でもこの時、わたしが赤ちゃんについて何も聞いてこないことについて夫はかなり心配していたそうです。
ふつうはまず第一声に赤ちゃんのことを聞いてくるもんだと思っていたし、私もそう思っていました。
でも実際には。。。
しかも、こともあろうにその2時間後くらいに、看護婦さんが赤ちゃんを病室に連れてきてくれるという段階になって私は、
「いや、まだ会いたくない!」と言い出したので、本格的にこれは大丈夫なのか??まさかの育児放棄か??と、心配になったそうです。


まだ会いたくない発言の時は、意識がかなり戻っていたのでなんとなく覚えていますが、とにかく気分が最悪で、「こんなはずじゃなかった。。。」という気持ちしかなく、今連れて来られても長い間夢に描いていたような、赤ちゃんとの感動の対面はできないから、もっと調子が整ってから連れてきてほしい、という気持ちだったんですが、そんな気持ちを説明できる気力も体力もなく、「まだ。。。会いたく。。。ない。」と言うのがやっとだったので、今から思うとそのときの夫が心配した気持ちもすごくわかります。


■最悪な目覚め

麻酔について、背中からすごく痛い注射をされるとか、痛い注射の前に別の麻酔をしてくれるから痛みはそんなにひどくないとか、トルコでは点滴のような感じで麻酔を体に入れていくという話や、1から数字を数えるように言われて3と言ったあたりでコクリと意識がなくなるとか、いろんな話を聞いていて、どうか痛い注射はされませんように。。。 
と思っていたのですが、実際の麻酔は喉に何か冷たい空気が入ってきたと思ったことしか覚えていません。注射ではなくガスを吸引する?タイプの麻酔だったようです。


そして上記のように、病室に戻ってすぐに意識があったそうですが私は覚えていなくて、私の覚えている最初の記憶は、とにかく不快で不機嫌で目が覚めて、病室はなぜか薄暗く思えて、夫が私の目元を一生懸命拭いてくれているのですが視界がぼんやりとしていました。
なぜか目の周りに皮脂がべっとりとしていて(脂汗をかいた?)それが目に入っていたようです。
そしてその最悪な気分のところへ、夫の家族や親せき総勢7名が私のベッドを囲んでいました。

深夜にもかかわらず駆けつけてくれたのですが、とにかく機嫌が最悪だった私は、「なんか人がいっぱいいる。。。なんだ、何してるんだ?何見てるの??て言うか、帰ってほしい。。。」という気持ちしかなく、一番近くまで来て寝ている私を覗き込んでいた夫の弟に対しては、「あんた、何見てるのよ?」という暴言を吐いたりと、とにかく最悪でした。

今思えば、痛みなんかはどんなものだったか記憶はなく、とにかく怒りと悲しみしかなくて、私はここでいったい何をしてるんだろう。こんなはずじゃなかった。。。という気持ちしかなくて、普段あんまりネガティブになったりしない性格だと思うんですが、どういうわけだか人生で一番幸せな気持ちを味わえると思っていた日に、人生で一番最悪な気分で病室に横たわっていました。


麻酔の影響だったのか、ホルモンバランスの影響なのか、どうしてこんな最低な気持ちになったのかは未だによくわかりません。


そしてこの不機嫌で最悪な気分はけっこう長引くことになります。。。


次回へつづく☆




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# by araty2013 | 2018-06-01 20:47 | 出産


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